先日の反省

ありがたいことに少数人ながら先日書いた小説を読んでもらえ、更にその中には批評をしてくれる友人もいた。

いくら客観視しようと努めても自分の作ったものである以上、主観から離れることは出来ないのでこう言った客観的な批評は大変嬉しく思う。

今日は初めて書いた小説の反省というか、彼の批評に対する言い訳をしようと思う。

まず、投稿するときのタイトルに「習作の小説『鶺鴒』」と書いたが、この「習作」という言葉を早速見抜かれてしまった。

これは「数ある名著と肩を並べて小説と言い張ることは到底出来ない」という謙虚を示すために添えたが、同時に「これはあくまで練習がてら製作したものなのでこれを自分の集大成だとは思わないでほしい」という姑息な予防線を張るためでもあった。

もちろん私の拙い文力で今後とも一大叙事詩が書き上げられようなどとは全く思わないが、この矛盾を見抜かれたような気がしてすこし冷や汗が出た。

内容に関しての反省をする。この試作は一目瞭然、短編小説を意図して書いたので冗長を恐れ不必要な表現を切り捨てた。しかし必要以上に切り捨ててしまったので終盤に不自然なほどせかせかとした展開になってしまったように思う。

加えてこの試作は写実主義自然主義に触発されて書かれたものであり、出来るだけ五感の表現をありのままに伝えようとした。そのため語彙が誇大になったり文語的なものになってしまった。

この語彙によって、読み手により深い知覚を促すために、持って回った表現をすることで知覚を遅らせる技法、すなわち「異化」が知らず識らずのうちに引き起こされてしまった。

この二つの失敗によって展開が目まぐるしく進み、なおかつありのままの語彙を当てはめようとし過ぎたために二次的な「異化」の効果が意図せず乱用され、文章全体に「待った」がかかっていた。

結果、ブレーキをかけたままフルスロットルで走る車のような暴走が生まれてしまった。この奇妙な暴走を的確に指摘されてしまったのは実に耳が痛いことだ。いや、文章だったので目が痛いか。

今後は反省を活かして「習作」という補助輪に頼りつつぼちぼち書いていきたいと思う。